十四世川柳

 

<活動>昭和23(1948)年3月11日嗣号―昭和52(1977)年8月27日没。

<号> 
柳霞楼/和洲/碧流舎川柳/(哉川軒、寝覚庵歌枕:狂歌の号)

 
本名、根岸 栄隆。明治21(1888)年3月11日、東京・豊島区千早町生れ。
 毎日新聞などの新聞記者の後,団体役員、経理士。詳細略歴
 大正8年頃から作句。第2時大戦中、地方句会の立評者となる。
 昭和21年6月、柳風狂句判者心得の允許を受けて判者に列する。
 昭和23年、伊藤静丸(13世)の発意と12世川柳の後援で14世を嗣号
 同年、東京川柳会を主宰、機関誌「東京川柳」(46号から「川柳」)を発行。
 門下に神山虚六、山村祐、脇屋未完子(15世川柳)などがいる。
 昭和52年8月27日、胃癌で没。東京・雑司が谷墓地に葬る。法名:釈柳栄信士。
 カッパの直筆は10000枚を超えるという。
 2002年8月の25回忌を期に、東京川柳会において「みだ六忌」が行われている。

 代表句   短冊作品

<主著作>
     『考える葦』 根岸川柳 (1959) 根岸川柳作品集刊行会 限定200部
     『裸体美の研究』 根岸栄隆 (1931) 時代世相研究会 
     『毛』 根岸栄隆 (1931) 燎原社 
     『鳥居の研究』 根岸榮隆 (1943) 厚生閣。5円50銭。A5判450頁弱。2000部。
     『鳥居』 根岸榮隆 (1943) アルス 1円50銭。B5判111頁。3000部。
     『商店街商組読本』 (1937) 東京府商店街商業組合連盟会
     『古川柳辞典』 根岸川柳 (1956) (5巻)
     私版・短詩型文学全集43『根岸川柳集』 昭和49年 限定400部 300円