Cタンカ工房の一日

 
   ネパールの4月の朝は比較的早い。東京よりもかなり南緯だ。
 工房は、午前8時から午後5時までが勤務時間であるが、早いものは7時半には仕事をはじめている。

 

気持ちよい朝の光の中でのタンカ制作(筆者)

タンカの制作過程

 工房の朝の光は、壁に地面に跳ね返り窓全体を輝かせる。跳ね回る光で、工房全体が神々しいまでに浮き立っている。この素晴らしい光は、9時前後まで続く。
 この光の中での描画作業は、画面の見やすさ、描きやすさもさることながら、画家を画面に没入させるのに十分な効果がある。
 ラマ師は、
「like this(このようにしなさい).」
と、僅かな手ほどきをすると、自分の作業にはいる。わたしは、しばらく師のすることを肩越しに見ていたが、『描きたい・・・』という衝動に負けて、この美しい光に中で作業をはじめる。チョプタンの小さな点と自分が一体となる感触をたんのうする。
 時計の針が10時に近づくと、誰彼となく背伸びをし、ひとりふたりと外へ出て行く。仕事をはじめて2時間。緊張の糸が途切れる頃合だ。朝からチョプタンをしていた連中は、とっくにいなくなっていた。タンカの製作は、きわめてコンセントレーションを必要とする技術的に緻密な彩色法をとるため、このようにリラックスの時間をいれてやらねば、とても続けることができないのだ。
 金を施していたプラッカースだけが作業に没頭している。金襴装飾の作業は、金粉を薄い膠水に練り混ぜ、容器を暖めながら行う。筆に一定量の絵具をつけ、一定の速さで絵具を置いていく。したがって、半端なところではやめられないのだ。

  陽は高度を増し、もはや強い逆光となった窓の格子の間から、ガネッシュが中を覗いている。見ていた私と目が合ったので、微笑みかけると・・・
「キナハシコ(どうして笑うの)?」
と、不思議そうに聞いている。どうも、日本人独特(最近の若い連中には通用しなくなってきたことだが・・・)の愛想笑いを理解せず、馬鹿にされたと思ったらしい。
 この間に、プラッカースも区切りをつけて外に行ってしまった。広いアトリエに僕一人が残された。
「ビトサン。チョット、キテ、クダサイ。」
と、ラマ師が戸の隙間から声をかける。別の部屋に呼ばれる。そこには、ビスケットとミルクティーが用意されていた。ひとしきり、日本語会話の勉強に花が咲く。
 2時間という時間は、ハードな集中を要求する作業では限界なのだろう。師は、いつもこの時間におやつを取るという。この緊張の緩和が、次の集中へのエネルギーになるのだ。
 外に出た連中は、日を浴びながら雑談し、ニワトリを追いかけ、ガネッシュをからかっている。みな、仕事を忘れてリフレッシュしている。
 レンガ造りの建物の間に広がる青い空は、セメントの建物越しに見る空よりも青い。大地は、輝く緑に彩色され、外に出るだけでも気分がいい。自然に方から力が抜けるのがわかる。
リフレッシュを終えた順に、工房へ戻り始める。15分程度の休みだ。

 太陽は天頂に達し、アトリエの中は外に比して暗く感ずるようになる。もはや、朝のはじける美しい光はなく、窓から直接差し込む太陽光の帯により、その明るさとは反比例した深い陰がアトリエを支配する。
各自、太陽光の直射を避けるようにキャンバスを調節し、細い筆の先に意識を溶け込ませていく。
 4月の陽光は暖かく、外は汗ばむほどだが、アトリエの床はコンクリートに薄いビニールシートを敷き、小さなジュータン仕様の座布団を一尻の下に敷くのみ。コンクリートの冷気が尻から伝わってくる。腰が痛み始めるのと、腹が痛み始めるのがほぼ同時である。昼に近づくころ、耐えられない痛みにトイレに駆け込む。
 「心頭滅却」・・・を日ごろの生活信条にしているが、情けない体である。鍛えていないことを痛感する。ラマ師の計らいで、私の所だけに大きな絨毯を敷くことになる。師も薄い座布団一枚なのに、これは受けられないと拒むが、
「タンカの修行は先が長い。ここで体調を崩しては、何もできなくなります。」
というコトバに促されて、泣く泣くこれを敷くことになった。
12時になると、ラマ師はもうアトリエにいない。ドアが少し開くと、
「ビトサン。チョット、キテ、クダサイ。」
と、食堂へ招きいれる。まだ、アトリエではブラザーたちの作業が続いていた。
 昼食は、先生の一人娘、スニータが作る。ネパールの伝統的な料理「ダルバート」は、いくつかのくぼみを持った一枚の皿にご飯と肉と野菜や豆料理がのっている。おかずを、ご飯に混ぜながら食べる。しかし、異様に量が多い・・・。肉も、野菜も、豆もすべてカレー味。きわめて辛い。残さないようにヤットヤット皿をきれいにすると、スニータがご飯やカレーを素早く追加する。ラマ師は、平然と平らげている。食の細い私には、やや、苦痛の時間になる。
「プギョ!プギョ!(タクサン、タクサン)」
 ナマステ(こんにちは)の次に覚えたネパール語である。


 ブラザーたちは、町へ食事に出る。時間が決まっているわけではなく、三々五々出かけていく。午後の作業は、1時から2時まで人が揃わない。
彼らの給料は、月給制ではなく、月に何枚終えるかという契約制である。この契約により、給料は前払いされる。したがって、時間で仕事をするのではなく、あるレベル以上の品質で数さえ辻褄が合えばそれでよいのだ。バクタプールから通うデスビルは、通勤時間がかかるため9時半に出社?するのであるが、夕方は暗くなっても作業を止めない。中には悪いやつがいて、前払いの給料を持ったまま逃げてしまう者もあったという。この話をするときのラマ夫人は、恨み骨髄の表情をする。

 午後の工房は、暖かい。食事の後のチョプタンは、きわめて困難を伴う。睡魔が襲ってくるのだ。この睡魔は、瞼から現れ、こめかみから首筋にかけて這い回る。
「集中。集中。」
自分に言い聞かせながら、筆の先端に意識を集中させる。
あの、朝の心地よいまでの集中力は、姿を隠し、惰性で描くのみのレベルの低下である。周囲の連中は、みなどうなのだろう?ここで、いいわけをしておかなくてはいけないが、チョプタンのような繊細で単純な作業では、過度に意識を集中させるのは逆効果である。意識を集中しようとすると、かえって、画面では浮いた点を作ってしまう。
気持ちよくチョプタンできているときは、適度な緊張感の中で、手は筆を通じて無意識に動き、適切な強さと濃さを持つ点を画面に置いていく。『このくらいの強さで、このくらいの濃さの点をここにうとう。』などと思うようでは、画面の調和がたちどころに乱れてしまう。
 意識と無意識のあわい、ランナーが感じるという『ランニングハイ』のような感覚の中でできるのではないだろうか?
 午後のこの時点では、タンカを制作する状態からはずれてしまっているのだ。気分転換に外へ出てガネッシュと遊ぶ。そういえば、午後の時間、ブラザーたちは、こまめに外へ出ている。勤務時間中?に選択をしたり、水浴びをしたり、靴を洗ったりしている。
 こうして、集中力の散漫になったのを解消し、また画面と対峙するのだ。
アトリエでも、時折騒がしくなる。何の話題なのかはさだかでないが、作業しながら大声で駄弁り、大笑いしたかと思うと、次の瞬間には皆が集中している。絵を描くことを職業とした彼らの心のコントロール方を垣間見た。

午後3時、先生が戸の隙間より私を呼ぶ。
「ビトサン。チョット、キテ、クダサイ。」
おやつである。スニータが、食パンを焼いてバターと砂糖をぬったものとミルクティーが、用意されている。ブラザーたちにも、ガネッシュが、ミルクティーを配っている。また、アトリエでひとしきり賑やかな話し声が聞こえる。彼らはどうも、バクタプールでの御祭りの話をしているらしい…。
  3時のおやつは、日によって変わり、パンケーキや中国製のヌードル、ビスケットなどであった。この量は、おやつと言う次元よりも多かったように思う。
 私は、タンカ修行と言う名目でこの国を訪ねたのであるが、ラマ師の食生活(僕に対するもてなしであった通常とは異なる生活だったのかは不明)に付き合うことにより、世界の最貧国の一つに来ていながら、帰国時には3kgほど太っていたことは、特筆に価する。
 この時間により、リフレッシュされる。僕とラマ師との会話は、もっぱらタンカのことか、日本の生活のことであった。私は、時間さえ許せば、師にタンカのことを聞き、師は、日本の芸術についてや、生活様式について興味を持った。僕が、ネパール語でタンカ関連の用語を知りたがり、ラマ師は、日本語会話を少しでも増やそうと躍起になっていた。
 あるときは、同時に、別の問いを発し会い、あるときは、英語力の不足から、互いに相手に説明しきれず、ただ目を見合わせて笑った。
 
 夕刻、午後4時をまわると、アトリエの中は急に暗くなる。画面に目を凝らしての描画が続く。
 もはや、微妙なグラデーションなどは見分けがつかない。
 むしろ、次のステップのための、下色おきが中心になる。はじめの内は、この時間もチョプタンをしようとした為、翌朝見たときにギョッとする色むらを経験した。
 午後5時、画材を片付けて一人一人と帰っていく。

入門中に制作したタンカの仏陀

NEXT