ネパールという国に興味を持ったのは、つくば博(1970)に訪れたネパール館が最初でした。川柳研究社主催の吟行会でのこと、人気のある他のパビリオンは時間待ちを余儀なくされるなか、人混みに真空ができたような一角がありました。近づくと、三つ目(三眼というべき)の奇妙な顔をした面や金色に輝く仏像などが薄暗い小さな建物の中に雑然と置かれていたのです。この時、父が三眼の赤い神?(後にバイラバと解かる)の面を買ってきて応接室の壁に掛けたのがネパールとの最初の出逢いだったのです。その後、絵画材料の研究を仕事とし、個人的な興味として密教の本を読み漁るうち、必然的に東洋の伝統絵画のひとつである「タンカ」に行き当たるのは時間の問題であったともいえます。
さらに、昨年、自社製品の「クレーム処理」という極めて厳しい状況の中で、ひょんな契機から、プランインターナショナルというNGO組織の関係者と知り合う機会を得、ネパールの小学校などを回って文具・画材などのプレゼントをしながら交流を深める旅をすることができました。思えば、何かに導かれて出来た道のように感じました。
この時、ネパールの教育事情について多少の理解が生まれ、貧困の主要因が、未成熟な教育環境にあり、これを改善しない限り、この国の発展は難しいという印象をもちました。貧富の差の大きい中、貧民には教育の機会が少なく、結局お金を得ることができないという悪循環が断ち切れない状態になっているのです。
もちろん、私個人にできることは限られ、多少の金銭を寄付したところで焼け石に水であることには変わりないということも事実です。思いつきや同情の寄付は、その場しのぎに過ぎません。ここで、私どもに必要なのは、ネパールという国を理解し、小さくとも連続的な協力のシステムを作ることが大切と考えました。
その足がかりとして、かの国の伝統的文化のひとつである「タンカ」を日本に紹介し、できれば、この「タンカ」という特産品を日本で販売し、その収益の一部をネパールに還元することによって継続的な協力のシステムを作り出そうと考えました。
しかし、この伝統の絵画については充分な資料が日本にありません。この際、一度、ネパールに渡り、タンカ工房に入門してその神髄を見極めねばならないという衝動から、今回、単身での無謀な旅を行った訳です。
NEXT
|