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     2月17日は、<女柳 
    めやなぎ 忌> 
    
     
      初代川柳妻女の命日。 
      「めやなぎ」として『誹風柳多留』21篇に現れるが、その実態についてはほとんど不明。 
     逸話として、「新編歌俳百人選」(1894)に  
       天人は小田原町を覗いて居  
     の句意が判らず初代川柳が困っていたところ、日頃より浅草寺の信心に厚かった女柳が、この謎句を解いて助けたということが記されている。  
       
     
     天明6年3月27日、川柳風において初めて追善句会である「女柳追善句合」(天明6年3月27日開キ)が行われている事から、女柳の川柳風内での存在の大きさを示している。 
     この会の入選句に 
      しろうとにしてもめつたに無イてい女   串 柿  
     という句があるが、女柳の事を読んでいるようにも見える。 
     単なる名主の細君ではなく、川柳点の活動に大きく関わりをもっていたのだろう。 
     〈めやなぎ〉は〈かわやなぎ〉の配偶者の意味と思われ、定まった俳号とは考えられず、作品も残されてはいない。 
     川柳の夫人は、初代川柳墓碑に川柳と並んで記された「微妙院浄信法性信女」である。この命日は、天明6年(1786)2月17日(グレゴリオ暦・3月16日)だった。 
     
     2025年は、女柳(240回忌にあたる。 
      
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