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     新川柳のはじまりは狂句から 
     
     明治22年2月11日の帝国憲法発布の当日、時の文相・森有礼が暴漢に襲われて刺殺された事件に材を採り、2月19日付の新聞《日本》に投書した作者名のない狂句、 
      ゆうれいが無礼の者にしてやられ 
      廃刀者出刃庖丁を横にさし 
     が、のちに同紙の主筆となる小島一雄の脳裏から離れず、同紙が川柳欄を開設し、明治新川柳復興の牙城となる契機になった。 
     僅か十七音で時代を諷刺できる川柳。 
     以後、川柳は新聞紙上でその存在を高めるが、やがて二二六事件のころより、その諷刺の鋭さを恐れられて、表現の自由を奪われて行く。  
     
     
    
     
    
     
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