時事川柳の3S  

  風刺表現の根底や回路をなすのは、前記の批評精神をはじめ、 アイロニー、セルフ・アイロニー(自虐)、ウイット、シニシズム、エピグラム(寸鉄性)、ユーモア、ブラック・ユーモア、ペ ーソス、エスプリなど、さまざまな要素がありますが、それらを 駆使しての基本的な方法論に入る前に、ぜひ銘記しておいていた だきたいのは、次の三つの要点で、わたしはこれを「時事川柳の 3S」と名づけています。

  時事川柳の3S   

 SPEED 

 瞬発力・即応性

 SENSE

 発想・視角・趣向 

 STYLE

 形象化・完成度

 時事川柳を最も時事川柳たらしめているのが、この3Sです。
 以下、それぞれについて記しましょう。

 @スピード(SPEED…スピードというのは、作句の速 度ということではありません。物事に対する対応の速さ、即応性 を指したものです。これを可能にするのは、感覚的な鋭さという よりは、日頃からの心の構え、いかに油断なくレーダーを張りめ ぐらすかの周到さにあると、私は考えています。
  同じ事象、同じテーマをとらえても、立ち後れると、その分だ け時事的な価値が落ち、さらに時がたてば、いわゆる「くさる」 状態になります。そのため時事川柳には、特に動く対象に対する 瞬発力、動体視力とでもいうような能力の体得が要求され、これ が一般の川柳と異なる最も大きな特性でもあるのです。
  他の二点(センス、スタイル)、つまり発想、視角、趣向や句 姿・句調などの形式的完成度は、通常の作品にも共通の要素です が、それに加えて、時事川柳には特にスピードが要求されるとい うことは、眼前に流動する事象を、「今」という時点で「点」と してとらえる即応性が必要だからです。
  センス、スタイルが完全でも、事象と作品の間に時差があって は、時事句としては全き作品とはいえません。したがって、時事 川柳にとっては、他の2Sよりさらに大事な意味を持つのが、こ のスピードのSだということができます。
  流動の中で、次なる動きを予知できるほどにレーダーを磨き上 げておかないと、眼前の「今」にすぐさま対応できません。譬え るなら、相手の剣が動いてから構え直したのでは、もはや遅いと いうことです。
  もちろん、この瞬発力をどう形象化に結びつけるか、どう類型 を越えるかなどは「センス」の問題であり、また定型詩として成り立たない「スタイル」でははじめから作品とはいえませんが、 他の二点が不満足な場合でも、「スピード」という一点で句を支 え得ることはあります。しかし、その逆はありません。
 新鮮な材料が、何よりも優先するということです。

 Aセンス(SENSE…時事川柳というものが、単に政治的、社会的な素材を取り込んだだけの作品という意味でないこと は、すでに記しましたが、目前で、現に動いている事象から、その典型(象徴的な部分)だけを引き出し、それを切り口として提示して見せる(説明するのではない)のが、センスです。
  したがって、線(時間)を線としてとらえるのではなく、線を 点に還元して取り出すという操作が必要になりますが、この過程 で、情緒的空間(たとえば同情や憎しみといった個人的感情の介 入)は極力カットされなければなりません。
  流れが固定してしまったり、または反復する対象は、「時事」 とはいわず、「風俗」とみなされます。「時事」とは点であり、 「風俗」とは線であると認識してください。
  社会記事的な句が、政治的な句よりむずかしいのは、社会的対象は、点としてとらえにくいことが多く、ともすると単なる風俗句に埋没する危険があるからです。しかも政治記事的な句は、批 判的アングルを加えることで、それなりに成り立ちますが、社会 記事的な句の場合には、出来事の種類によっては、批判以外の空 間や、作句上の「技術」、より磨かれたセンスを必要とすることがあるからでもあります。
  センスもまたつき詰めれば、いかに本質を掴むかという〈目〉問題に還元されます。 …どんなに鮮やかな瞬発力でとら えた素材でも、また発想や物の見方にすぐれたセンスを発揮して も、最後の仕上げである表現形式、文体がいい加減では、完成した独立作品とはいえません。

 Bスタイル(STYLE 川柳の形式は、総音数十七音、その中で分割された音数のブロ ックを適宜に組み合わせて、律調ある一句に構成するわけです。 必ずしも5・7・5の正格にこだわらなくても結構ですが、いたずらに音数が多く、散文のように冗長だったり、リズム感が全く ないものは、川柳の形式とはみとめられないということです。
  一音、二音の多いとか寡い(字余り、字足らず)をいうのでは なく、多ければ多いなりに、少なければ少ないなりに、律文とし てのリズムが工夫されるべきで、このことは、前章でも幾つかの例句を挙げておいた通りです。
  形式というものがいかに大切かは、これまでに口から口へと伝えられ、また第三者の記憶に残るような秀作が、内容とともに、 例外なく句調のよい作品であることをみても理解できると思います。 
  もちろん、スタイルだけ良くて、中身が空虚というのでは困り ますが、いずれにせよ、スタイルは川柳表現のさいごの関門で、 ここで注意を怠ると、すべてが無為に帰するということを充分に 心していただきたいと思うのです。

 以上が、「時事川柳の3S」で、どの「S」が欠けても作品と して完全とはいえないわけですが、といって、誰でもがはじめか ら完全を期するのは無理なことですから、これを努力目標として一歩でも近づく心構えで作句にのぞまれることを希望します。

ドクター川柳