「川柳」は人名(号)である 

 

 現在わたしたちが「川柳」と呼んでいる短詩文芸の名称が定着したのは、俳句と同様、明治以降のことです。本来は、川柳風狂句とか川柳狂句とか称したもので、江戸の末期から恣意的には川柳とも呼んでいましたが、文芸そのものの近代化とともに、「川柳」が固定した呼び方となりました。これには、他の文芸には例のない特殊な経緯があります。
 というのも、この「川柳」というのは個人の名(俳名)で、江戸時代後期に登場した前句附というものの点者(宗匠)に由来します。江戸は浅草新堀端の天台宗・龍宝寺門前(現・台東区蔵前4丁目)の名主で、柄井八右衛門という人が、前句附という文芸の宗匠となって名のった俳名が川柳(かわやなぎ)、この人が、現在に受け継がれる十七音独立文芸の祖となりました。代表的な選句集に<誹風柳多留>があります。
 18世紀後半の江戸で、最も高名な点者として33年間、多くの名句を世に出し、寛政2年9月23日、72歳で没しました。毎年、菩提寺の龍宝寺で川柳忌が営まれています。
   
柄井川柳、誹風柳多留については、「川柳博物館」をご覧ください。
  
 
      万句合発表の刷物 

 

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