川 柳 史   川柳史の概念図
川柳前史 宝暦7年(1757)以前

 原始歌謡から前句附まで。

古川柳

宝暦7年(1757)から
寛政2年(1790)まで

 初代柄井川柳立机から初代川柳没までの33年間。

準古川柳期

寛政2年(1790)頃から
享和3年(1803)頃まで

 初代川柳没後、絶えようとした道を和笛に評を託し、「川叟の俳風」を復活し、その和笛老人が没して菅裏が「暫此道たへんとす」と記した時代までの約20年。

狂句の時代

文化元年(1804)頃から
明治35年(1902)頃まで

 文日堂礫川が登場し二世、三世川柳を立てての川柳の復興から「狂句」の語が使われる初期狂句時代。
 四世川柳により「俳風狂句」が打ち立てられ、初代以降の川柳風が全盛となる俳風狂句の時代。
 さらに五世、六世川柳によって「宗家」という意識と「柳風会」という組織が完成される「柳風狂句」の時代。
 川柳宗家が引き継がれるなか、九世によって再び拡大をみせ、全国組織となる明治狂句の時代。
 勃興した新川柳としのぎを削ることになる十三代川柳までの末期まで、ほぼ100年を総称して「狂句の時代」という。

新川柳の時代


明治35年(1902)から
今日まで

 明治35年、阪井久良岐によって新聞紙上に狂句とは異なる川柳欄が生れた時から、新川柳の作家による結社、川柳誌の発行に至り、狂句との論争を経て文芸として形作られる初期から、詩川柳への模索から現れる川柳からの脱皮として草詩、寸句、さらには新傾向川柳、新興川柳などの試みの時代。
 その中から現れる東西6人の指導者による六巨頭時代を経て個性化した川柳が花開く今日までのほぼ100年。