五世川柳

 

<活動>天保8(1948)年3月11日嗣号―安政5(1858)年8月16

<号> 
醒斎(なまぐさい)/佃(たつくり)/緑亭/風叟

 
本名、水谷金蔵。天明7(1787)年1月・東京・南茅場町生れ。
 幼時に父母を失い、佃島の漁師太平次に養われる。努力により財を成した立志伝の人。
 佃島の御用漁師、魚問屋(“香の図の焼印”)。
 二世川柳門。
誹風柳多留66篇に初出。二世の没後は四世川柳の門人。
  文化11(1814)年の『柳多留』66篇で初評。長男(後の六世川柳)誕生。
 天保8(1837)年、 3月11日嗣号。「五世川柳名弘会」催主・枡丸
 天保9(1838)年、 『誹風柳多留』終篇(167篇)
         (天保の改革始まる→天保14迄:水野忠邦)
 天保10(1839)年、五世により祖翁五十回忌。「木枯の句碑」龍宝寺に建立。
 天保11(1840)年 柳多留167篇で廃刊。 翌年『新編柳多留』初篇を刊行(山口屋藤兵衛)。出版物取締強まる。
 嘉永2(1849)年、 『新編柳多留』終篇(55篇)。
 安政初年頃 俳風狂句を改め「柳風狂句」と改称す。
 安政5(1858)年、五世により祖翁七十回忌が行われ、8月16日没。享年71。築地本願寺に葬る。法名・真実院釈浄宝信士。関東大震災以降不明?

<主著作>  「遊仙窟春雨草紙」初篇〜5篇(豊国画、弘化4−5年)
         「祥瑞白菊物語」 初篇〜6篇(芳虎画、嘉永4−6年)
         「俳人百家撰」       (嘉永8年)
         『誠忠義臣略伝』緑亭川柳編輯・歌川豊国画(弘化5春・錦耕堂 山口屋藤兵衛)
         『狂句百味簟笥』全四冊 緑亭川柳劇作・一勇斎歌川国芳画(天保乙巳?・山口屋藤兵衛)
         『勧善五常の玉』全四冊 緑亭川柳劇作・歌川国貞画
         『英雄百人一首』袋入一冊 緑亭川柳作・五雲亭貞秀画
         「柳多留」154篇〜383篇?(『川柳入門』池田錦水)
         「新編柳多留」初編〜55編(天保12〜嘉永6)

 代表句

<記念碑>
         「句碑‐和らかてかたく持たし人ごころ」 向島・三囲神社 
         「句碑‐和らかでかたく持たし人ごころ」 佃島・住吉神社

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