可有忌
講話「可有の足跡」

 



写真:尾藤三柳氏

尾藤 三柳 氏

 呉陵軒可有の業績を5つのポイントに分けて話を進めました。
 概要は下記の通りですが、なぜ呉陵軒可有と呼ばれたか、何故木綿という表徳を名乗ったかなど多くの例証を柳多留から取り出しての分析は、とてもわかりやすく可有の業績を知るよい道しるべになりました。
 また、川柳性の成立過程も可有の選句眼、『柳多留』の編集方針からの解釈で、きわめて理解しやすいものとなりました。

呉陵軒可有の業績
宝暦5(1755)年?生れ 〜 天明8(1788)年没

@『誹風柳多留』の企画・編集
  川柳評万句合暦摺からの単行本化 (著者としての重要性)
  版元・花屋久次郎とのタイアップ
  前句を省いた最初の前句附選集 (範は『誹諧武玉川』)
  川柳評万句合の人気急上昇に結びつく
  初篇(明和2)〜22篇(天明8)まで編纂

A独立単句への志向 ―収録句の手直し―
  「一句にて句意のわかり易きを挙げ」(初篇序)
  前句依存からの脱却 ―17音独立への嚆矢―
  独立性補完のための川柳評原句の修正
  作者への指針 <景物歌仙>(2篇)など

B文芸感の確立
  《問答の構造》(2段構成)の理念
  「川柳性」(柳多留の本性)の顕在化

C実作者としての手腕 ―門下の指導・養成―
  「呉陵軒」「木綿」の由来 (実号・水禽舎縁江
  木綿門葉故人(23篇) 桜木・井賀(井印)・緑技・豆亀・芦夕・タロク(陀陸)・巴江
  (宝暦〜明和初年頃)

D川柳風における求心力とバックアップ
   「としどし柳多留と題するも、この道のなかだちとなり好士(連衆)考土(川柳)のむつま
  じきを願うのみ」(22篇 巻頭―最後の序文)
  別会桜題万句合(天明2)
  女柳追善句合(天明6)
  桜木連(山下仲町・薩秀堂―桜木庵)を中心とした後援
  その没年まで川柳風前句に尽力すること30余年

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