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写真上:可有忌の祭壇。辞世の短冊と初篇の序
写真下:木綿忌に情熱を傾けた左から川柳、三柳、 瓢太郎ほかの各氏。
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2002年5月3日、川柳人協会の主催により呉陵軒木綿忌法要句会が初代川柳の菩提寺でもある天台龍宝寺で行われました。
可有の「雲晴れて」の辞世のごとく清々しく晴れたこの日、87名の川柳人が集いました。
木綿こと呉陵軒可有は、『誹風柳多留』の企画者、著者として、柄井川柳、花屋久治郎と並び賞される川柳界の大恩人です。
永年の川柳人の念願を叶えたのは、東京の川柳家の熱意を形にした竹本瓢太郎氏を中心とする川柳人協会と、呉陵軒の功績を早くから提唱し続けていた脇屋川柳氏、尾藤三柳氏の思いの深さでした。
ここに、川柳界三恩人の顕彰句会が整ったことは、未来に向けて川柳の伝統をつなぐ灯がひとつ増えて明るさを増した事になります。
可有忌に集まった川柳人は、まず初代川柳の墓所にお参りをし、宿題を句箋にしたため投句しました。
住職による法要が行われ、これを機会にあつらえられた木綿居士の位牌に入魂式が執り行われ、参集者一同は木綿居士の霊前に焼香しました。
可有忌にちなんだ三柳氏の「可有の足跡」の解り易い講演により、木綿についての知識を深め、川柳の面白さを思い起こした後、木綿居士霊前での披講が行われました。
二百三十年以上を閲した今日、木綿に思いを寄せて集った事に、木綿居士も目を細めていた事でしょう。
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