慶紀逸翁260年祭
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5月8日は、『誹諧武玉川』(初編:寛延3年-1750)を通じで、川柳の発生と発展に大きな影響を与えた江戸其角座の俳匠・慶紀逸(1691〜1762)の命日。
2022年は、その没後260年祭である。
2012年、慶紀逸250年同実行委員会の主催で、東京・谷中の菩提寺、日蓮宗龍泉寺(現住・土田恵和尚)で行なわれ、同日午後からは、これを記念する「川柳と講演の会」が谷中コミュニティセンターに会場を移して開催された。
龍泉寺の過去帳に「自生庵紀逸日匠」として残る紀逸は、その盛時「宗匠の随一」とも称されながら、以後の俳句界からは見捨てられ、家系の慶氏からも無縁となって、江戸末期以来久しく忘れられていたが、このほど没後260年(忌日は宝暦12年5月8日)を期に、その功績を顕彰しようという企画が準備されている。
すべての面で川柳の模範となり、川柳評万句合から柳多留への道を開き、強いては現代に至る文芸の基を開く大きな力となった「武玉川」と、その編者(点者)紀逸の恩恵は計り知れない。現に、武玉川の短句を引き入れて、実作の側面とながら、その本家を忘れては申し訳あるまい。
先人の思いを受け、思いつきの単発でないことを示す意味でも川柳の恩人への顕彰を続けて生きたい。
十六代 尾藤 川柳
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慶紀逸翁肖像
『誹諧武玉川』十編口絵に掲載された紀逸翁肖像。
宝暦3年には、松尾芭蕉にゆかりのある関口に庵を結んだ後の宝暦6年、すでに江戸座の宗匠として確かな地位を固めた時期、押しも押されぬ存在感をもつ。
今日の「関口芭蕉庵」は、慶紀逸翁の遺跡でもある。
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『誹諧武玉川』初編
寛延3年(1750)に刊行された俳諧の高点句集『誹諧武玉川』初編は、江戸中期の爛熟した江戸文化とあいまって流行、後に<川柳>の句集『誹風柳多留』の手本となり、今日の十七音独立文芸としての川柳に大きな影響を与えた。
『誹諧武玉川』には十七音の長句と一四字の短句があるが、十四字が川柳家の手で今日も行われているのは、『誹諧武玉川』もまたバイブルとして川柳家が大切にしてきたからである。
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慶紀逸翁の戒名が書かれた龍泉寺の過去帳
宝暦12年(1762)5月8日没の慶紀逸翁の戒名が載った過去帳。江戸の大火、関東大震災さらには東京大空襲の災禍を免れ260年以上前の過去帳を今に伝えている。
「自生庵紀逸日匠」とある。
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慶紀逸翁の菩提寺・龍泉寺
江戸時代の初期、元和7(1621)年創建の龍泉寺は、日蓮宗のお寺で長光山と号す。
紀逸翁は、椎名家の生まれだが、この寺は、夫人の実家・慶氏の菩提寺。平河天神の別当を勤めるなどのことから、慶氏を名乗るようになった。
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龍泉寺の無縁地蔵
龍泉寺の墓所入り口に立つお地蔵様。無縁の供養が目的で建立されているが、5月8日法要後の卒塔婆は、こちらで供養されている。
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川柳家のための『誹諧武玉川』初編
『誹諧武玉川』初編を翻刻するとともに読みやすいよう現代表記の脚注を設け、慶紀逸翁の川柳への影響と一四字の音数律についての評論および慶紀逸略年表を掲載。はじめての方でも慶紀逸翁と『誹諧武玉川』について知ることができる。
尾藤川柳編著 文庫版、128ページ 1200円
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